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牋手瓩消える?
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    今回の新型コロナウイルス感染は現在は中南米、そして次はアフリカへと拡大し続けると見られています。すでに感染のピークが過ぎた国では経済活動が再開されていますが、3月中旬から急激な感染拡大に見舞われているアメリカでは今なお危険な状態が続いています。そのアメリカ人の日常生活も大きく変わり、他人から6フィート(2メートル弱)の距離をとる「ソーシャルディスタンス」が浸透し、歩道を歩行者がすれ違う時も道路の反対側に移動したり車道に出て歩く姿を見かけるようになったといいます。

    何といっても一番の変化は「握手」をする人がいなくなったこと。アメリカをはじめ多くの国の公衆衛生機関があいさつのための握手をしないように呼びかけています。そこで、互いの拳を軽くぶっけ合う爛亜璽織奪銑瓩筝澆い里劼犬魴擇ぶっけ合う爐劼献織奪銑瓩修梁梢討靴澆鮃めてお互いに手を振り合う、といった触れ合わない方法でのあいさつに代ってきました。笑顔をかわしたり、うなずいたりも日常化してきたそうです。

    新型コロナウイルスのワクチン開発は早くて2022年と予測されていてそれまでは他人との距離をとったり握手をひかえる、といった日常が続きそうです。ただ今回の対応ワクチンが製品化されても新しいウィルスがいつ現れるかも分かりません。そこで、ホワイトハウスで新型コロナウイルス感染拡大の対応策立案の先頭に立つ、国立アレルギー感染症研究所のアンソニー・ファウチ所長が「我々が握手をすることはもう二度とないかもしれない」と複数のメディアで発言した言葉が波紋を広げているという報道がありました。パンデミックを防ぐためには、人間社会の基本的習慣を見直すことが必要かもしれないという趣旨の発言だったそうです。

    新型コロナは社会や経済構造を変えると予測されています。確かに医療面では外でタンをはかないといった公衆衛生思想も定着するでしょうし、お店の入り口に常備された消毒薬の風景もごく普通になるでしょう。ところが握手という習慣が消えるとなるとその影響は人間同士の基本的なコミニケーションの在り方にまで及ぶことになります。一体どこまで変わってしまうのか、変化を強いられるか・・・。

    posted by: ちあやほーぶん | - | 07:13 | comments(0) | - | - | - |
    梅雨入り前に 裏庭の雑草を
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      今、窓から見える外では小雨が降っています。きのうは九州北部以外東海地方までは梅雨入り宣言が出されていました。最近は桜の開花宣言もそうですが大分を含む九州北部は気象的に他から取り残されたような状況が続いていませんか。もうこれが日常の気象となってしまいました。さてこの雨が予報通り梅雨入りとなるかどうか。

      ところで外出自粛生活がすっかり身に付いてしまって以降、家の内外の事が気になりはじめ前庭の剪定のあと、ずっと気にかかっていたのが裏庭の雑草です。あっという間にドクダミやミツバでおおわれてしまいました。ドクダミは乾燥させてお茶として飲んでいましたし、ミツバは新芽の柔らかいところをおひたしにして食べていますが何せ両方とも成長が早すぎて追いつきません。そうこうするうち季節は6月、すぐに雨のシーズンに入ります。何とかその前にとゴム手袋をして作業にかかりましたが根がしっかり張っていて取り除くのに3日もかかりました。よく見ると前庭にしか植えていなかった芝がいつの間にか横、そして裏にまで相当入り込んでいます。あの芝の繁殖力には本当に圧倒されます。そしてミミズたちの生命力にも驚き、この雨でまた元気に増えていくことでしょう。

       

      ドクダミやミツバを掘り除いた後にはいつの間にか芝がうっすらと

      生ごみから芽を出した北海道産のじゃがいも、さて収穫までいくか?

       

       

      posted by: ちあやほーぶん | - | 07:12 | comments(0) | - | - | - |
      疫病よけの妖怪 爛▲泪咼┃
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        今回の新型ウィルス感染拡大に合わせるように妖怪爛▲泪咼┃瓩了僂鬚△舛海舛任澆けることが多くなりました。特にSNS上を盛んに飛び交っていて、今では日本から海外へと人気の輪を広げているそうです。疫病退散のご利益があるとされる妖怪、鳥のようなくちばしと長い髪やうろこで覆われた体、半人半魚の素朴な姿が特徴です。

        福井県越前市の「金森左京家」に伝わる古文書に、天然痘が大流行した江戸時代の天保15年(1844年)に疫病に関連する記述の中に妖怪「アマビコ」が出てきます。そこには、肥後国(熊本県)の海から光る姿で現れ、トビの声で侍に「自分の姿を書き写し、それを見る者は病から逃げられる」という記述の下に3本足の猿のような挿絵が描いてあるとのこと。又、京都大学の図書館にある江戸時代の摺物(すりもの)には『今年から6年間は豊作が続くが、そのかわりに疫病がはやる。そこで私の姿を絵に描いてそれを人々に見せるように』と言って海に消えた、という内容が書かれているとのこと。他の資料もだいたい同じような内容で、江戸時代の肥後(熊本)に出現した妖怪、外見は人魚のようで鳥に似たくちばしを持っている、「病が流行ったら私の写し絵を人々に見せよ」と言い残して海へ消えた、という言い伝えです。

         

        安政5年(1858年)にコレラが全国的に大流行した際にも爛▲泪咼貝瓩虜り物が売り出されたという史実が残っていて、そのコレラは天保15年より約20年前に、海外から長崎の出島経由で日本に入り、文政5年(1822年)には九州から関西にかけ初めて蔓延したと言われています。コレラは全く未知の疫病だったため、当時の人々は新しいお守りが必要となり妖怪爛▲泪咼貝瓩誕生したのでは、という説がありました。

        天彦・海彦・尼彦・天日子・あま彦・天響などいろいろな表記の妖怪「アマビコ」、時が経つうちいつの間にか「アマビエ」に変わったのではないかとも言われていますが確かに「コ」が「エ」に誤記されたとは考えられそうです。より効果を求めるなら名前を「アマビコ」に戻した方がいいかもしれませんね。

        それにしても

        「コレラ予防にご利益がある」と貼り札を売った業者が「愚人を惑わす」と警視庁に取り締まられたこともあったという明治以降ぱたりと姿を消していた感染よけ絵札の妖怪が突然、この世に現れました。妖怪っていわゆる爐个韻發劉瓩任垢茲諭自動運転や民間人が宇宙旅行をしょうかという時代に百数十年ぶりに脚光を浴びるとは・・・

        恐ろしい新型ウィルスはどんな時代になっても猛威をふるう、人類にとって最大の脅威・感染症はこの世からなくならない。手の打ちようがないから妖怪にすがる?まさか!

        posted by: ちあやほーぶん | - | 07:06 | comments(0) | - | - | - |
        小説「サーカスの夜に」
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          いろいろな形でコロナ禍が続いていますので油断ができません。という状況で相変わらず殆ど一日を自宅で過ごしていますので時間はたっぷりあります。つい本を読む機会が多くなり、大好きなミステリーや時代物以外の本も手にします。

           

          今回読んだのは、女優でエッセイストのミムラさんが絶賛し解説まで書いていた小川糸さんの「サーカスの夜に」でした。幼い頃に患った病気治療の薬の後遺症で身長が10才で止まってしまった主人公。両親の離婚で独りぼっちなった主人公の僕は13才の誕生日を迎えた時、憧れのサーカスの世界で生きていくことを決断します。身体の小さな少年が自分の居場所をみつけようと地道に一生懸命生きる優しさにあふれた物語りです。

          というストーリーですがまず目を見張ったのが作者の言葉の使い方・言葉の表現力です。まるで文芸作品を読んでいるようで珠玉の言葉に導かれぐいぐい作者の世界へとのめり込んでいきました。

           

          例えば冒頭、主人公がレインボーサーカスについて思い返している場面では

           「レインボーサーカスという響きが、本当にべった

               りと頭にこびり付いて離れなくなってしまったの

            だ。それは、いくら舐めても永遠に小さくならない魔法のキャンディのようで、何回で

            も僕の脳みそを心地よく麻痺させた」

          そのすぐ後にでてくる言葉

           「しばらく星座を見上げたまま自転車をこいでいたら、どんどん頭がさえて、何の根拠も

            ないのに、きっと大丈夫だという安心感のようなものが心の大地に芽をのぞかせた。

            これが噂の「希望」という代物だろうか。星の輝きの一個一個から、勇気という名の透

            明な糸が僕をめがけて降りきて、何かとても大切なものを、体や心に優しく注いでくれ

            たような気がしてならなかった」

          あるいは途中の団長との会話では

           「僕はその瞬間、脳みそのしわを全部きっちりアイロンがけされたみたいに一気に頭の中

            が真っ白になった」

           「相変わらずの仏頂面で団長が聞くので、はい、と短く答えた。団長と二人きりだという

            のを意識すればするほど、粘着質の沈黙がまるで手で触れるような確かさで僕と団長を

            締め上げる」

          こうした言葉で綴られて物語りが展開するのですが、しっかり人生訓も

           「少年、あなたが想像できることは、実現できることよ。道は、自分で切り開くものなん

            だから!」振り向くとローズが僕にとびっきりのウィンクをくれた。

            子どもの頃、転落して足を怪我し綱渡りの夢を絶たれたクラウン役のトロについてロー

            ズが「トロはまだ運命と和解できていないのよね」ととても哀しそうに微笑んだ。

          その他、今現在も問題となっている差別や偏見についても触れています。

            両親の離婚後、育ててくれたおばあちゃんがサーカスに入るという孫に

           「あそこはいかがわしい人間が集まるいやしい場所だよ。人さらいの集団にじぶんから飛

            び込んでいくなんて・・・」と言ったり

          実は男性から女性に性転換した花形スター綱渡り師が登場したり、動物とは切っても切れな

          い関係にあるサーカス団の前で動物愛護団体が反対運動を行ったりと現代に通じるテーマが

          取り上げられています。

          そもそもサーカスそのものが差別の対象となる中、そのサーカスの世界で魔法のキャンディ

          を求め続ける主人公、不自由な世界で自由に生きて行こうとぶつかっていく姿に心を奪われ

          一気読みしてしまいました。

           

           

          posted by: ちあやほーぶん | - | 07:13 | comments(0) | - | - | - |
          おいしい爐はぎ瓩離掘璽鵑ら
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            前回の映画『もみの家』の続きです。

            主人公・彩花を演じているのは南沙良という女優さんですが上映が始まってすぐ、どこか身近にいる人のような気がしました。それくらい自然な動きをしていたのですが家に帰って分かりました。以前観た映画で非常に印象に残っていた『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』で主役を演じていた女優さんだったのです。今回の撮影時が主人公と同じ年齢の16才ですので将来が期待される有望な女優さんでした。その彼女が爐はぎ瓩鮨べるシーンがありました。

            主人公の沙良を可愛がってくれたひとり住まいのハナエおばあちゃん手作りの爐はぎ瓩任后秋に舞うお神楽の練習場に差し入れてくれます。沙良をはじめメンバー全員がそれはそれは本当においしそうに食べていました。

             

             

            無性においしいおはぎが食べたくなり立ち寄ったのが、爐△鵑害阿気鵑里はぎ瓩箸靴匿裕い里店「みつあん」です。国道10号を古国府方面に向かい日豊本線の高架をくぐるとすぐ右に「大分製餡」という白い看板が目に入ります。住所としては上野六坊です。和菓子にとって生命線といわれる「餡(あん)」を作っている工場の隣にお店があります。素材にこだわっていて小豆は北海道産の美味しい上品な甘さが人気の小豆を使っています。一日限定おはぎセットは殆どその日の午前中には売り切れるそうです。パン屋さんなどが主な卸先ですが私たちのような個人客も多く、中には「あん」そのものを買い求める人もたくさんいるとのこと。車からもバスからも看板が目に入り、そのたびに味を思い出してつばをに飲み込んでいる私です。その日の昼食はついたくさん買い込んだ爐はぎ瓩任靴拭1撚茣曚帽圓辰燭里浪燭月ぶりでしょう、やっぱりいいですね、こんな時間の過ごし方。

             

            おはぎとあんこスィーツの店「みつあん」

            粒あん、練りあんおはぎ

            大好評、本日のおはぎセット

            posted by: ちあやほーぶん | - | 07:26 | comments(0) | - | - | - |
            清々しい気分、映画『もみの家』
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              ここ数か月間、目まぐるしく状況が変化し、この新型ウィルス騒動が収まったあとに果たして以前と同じような生活環境に戻れるのかどうか心配していましたが、この映画を観て爐っと大丈夫瓩箸了廚い魘く持ちました。この映画の舞台「もみの家」の主宰者が発した最初の「うちの生活の基本は、早寝早起きと農作業」の言葉通りの生活が不登校もひきこもりも決して不治の病でないことを証明していたからです。

              故郷の富山県に戻って映画作りに取り組んでいる坂本欣弘監督が1年間かけて撮影し続けた砺波平野の広々とした大地と豊かな自然。そんな環境の中にある、不登校・ひきこもり・ニートなどさまざまな問題を抱える若者が共同生活を送りながら自立への道を歩む施設が舞台です。不登校になって半年になる主人公、16才の彩花がもみの家へ来た春から、田植えの初夏、トマト収穫の夏、稲穂が実る祭りの秋、雪に覆われた冬・・・作物を育て、収穫し、そして食べる。そんな日々を過ごすうち仲間にも少しずつ心を開き、村の人々ともふれあい、人の死や誕生に立ち会いながら生きる力を回復していく主人公の姿が移り変わる季節の匂いとともに刻み込まれていきます。

              舞台となった「もみの家」という「自立支援施設」が田舎の旧家の大邸宅を共同住宅として使っていますので、誰か篤志家が営んでいるのかと思っていましたが、実は農業を体験することできっかけを作ろうと農林水産省と厚生労働省が農業と福祉を連携させて行っている事業「ノウフク」の一環だそうです。最近のアベノマスクもそうですが何もかも自分たちの都合のままやりたい放題の今の安部政権ですが、こうした納得できる事業もあるのだと逆にびっくりしました。

              自然の中で自分の手で土に触れ農作業をすることにより自分を取り戻す。やっぱり日本人は農耕民族なのですね。人間らしく生きることができる場はどこなのか、を改めて考えさせられた映画でした。

              府内五番街のシネマ5で5日まで公開中です。

              posted by: ちあやほーぶん | - | 07:09 | comments(0) | - | - | - |
              中国、 野生動物の食用問題
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                今回の新型ウイルスはコウモリを食べたヘビを、人間が食べて感染したとの説や武漢にある野生動物やその肉を売っていた市場が感染源だったと指摘した声も聞かれました。

                そもそも中国は椅子とテーブル以外の4本脚なら全部食べてしまうと言われるほど食文化が豊かな国、野生動物を食用や医療目的に利用する習慣が深く根付いている国、また「動物を生きたままの状態で解体して食べると栄養価が高い」と考えられている国といわれます。例えばヘビ料理で最も好まれるヘビスープは精力増強と健康にいいと大人気だそうです。ちなみにアメリカの動物愛護団体が中国では年間1000万匹のイヌと400万匹のネコが食用のため殺されていると発表していました。

                 

                今回のコロナ感染が起きたあと、その中国で野生動物の食用問題が浮上し、各地で法整備が進んでいると報道されました。まず2月24日、全国人民代表大会(全人代)の常務委員会が国内の野生動物の取引き、食利用の全面的な禁止を宣言。これを受けて深圳市も翌25日に野生動物の食用を全面的に禁止する全国で最も厳しい内容の条例案を公布しました。その条例では、犬・ヘビ・野鳥・カエル・スッポンなどは野生動物とみなされ、人工的に飼育・繁殖されたものであっても食用は禁止。食べていいのはブタ・ウシ・ヒツジ・ロバ・ウサギ・チキン・アヒル・ガチョウ・ハトの9種類に限られました。(ウマではなくロバなのですね)

                ところが全人代の宣言に対し国民から大反発が起き、3月4日になって「スッポン・ウシガエルは養殖と食用を認める」と発表。深圳市の条例でも食用にできる動物として、人工的に飼育・繁殖されたスッポン・ウシガエル・アカガエル・ウズラが含まれることになったとのことです。

                 

                2002年のSARSの時は食用として売られていたハクビシンから人に感染したとの説が有力視されていましたし、そもそも今回もコウモリのウィルス研究で知られる武漢ウィルス研究所の研究員らがコウモリから野生動物を通じて人に感染する新型ウィルス発生の危険性を去年3月、ヨーロッパの学術誌に発表していたといいます。

                疫病を伝播する野生動物の『高リスク種』としてコウモリ・ネズミ・カラスの3種類が挙げられています。中国では人がヘビを食べる、そのヘビはコウモリを食べる。中国が国家安全法制を採択したことにより反体制活動規制が強化されるのではないかと今また香港では緊張が高まっています。その香港で4月末に閉店した有名なヘビスープ専門店に閉店間際の数日間、あのコロナ騒動の中、連日長蛇の列ができていたという報道がありました。

                 

                コウモリが出入りしていたのを目撃したご近所の屋根下の犇気抜き

                どう見ても1〜2僂靴すき間はない、この狭いところを出入りしていた

                我が家にはこうした空気抜きはないのに以前、洋間でコウモリが飛んで大騒ぎに

                何とか2本の昆虫網で捉えて外へはなしたが、どこから入ったかは分からずじまい

                今年の春先、玄関の吹き抜けのカーテンに隠れてじっとしていたツバメを発見、

                これも昆虫網で捉え外へ、どうも開けていた正面ドアから飛び込んできたようだ

                 

                 

                posted by: ちあやほーぶん | - | 07:11 | comments(0) | - | - | - |
                輸出規制する生産国が続出
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                  IMF(国際通貨基金)のゲオルギエバ専務理事が4月の講演で「新型コロナウイルスで2020年の世界経済は1929年の大恐慌以来のマイナス成長になる」と指摘したそうです。

                  今回の新型コロナウイルスはまだ進行中なので、いまだ経済への影響は底が見えない状況です。そうした中、これまで繰り返されてきた経済危機の経験から学ぼうと、各メディアを中心に大恐慌やリーマンショックなどさまざまな過去の深刻な長期不況が取り上げられています。それによりますと大恐慌の時も1929年からの4年間で世界貿易額が3分の1に減少していますので今回の場合もコロナ前の水準に回復するには4年はかかるだろうという声も聞かれます。

                  今回のコロナショックは今のところ外出の自粛・制限などによる「需要ショック」の側面しか目立っていませんが、すでに自動車をはじめとする耐久消費財を中心に世界経済への影響が出始めました。そうなると当然心配されるのが「供給ショック」の側面です。中でも、世界最大の小麦輸出国のロシアが国内供給を優先して穀物の輸出量を制限するなど輸出規制する生産国が続出し食料供給網への影響が出始めました。WFP(世界食糧計画)は新型コロナの影響で2020年末までに低・中所得国で前年比約2倍の2.5億人が深刻な食糧不足に陥ると推計しているそうです。

                  低・中所得国どころかわが国を振り返ってみると、ここまでどうにか日本が持ちこたえている大きな要因として、コンビニや食品スーパーから食料品が十分に供給されているからだといわれています。その供給網が断たれるとどうなるか、わが国の食料自給率(カロリーベース)はたった37%と過去最低の恐るべき状況にあります。カナダ・オーストラリア・アメリカ・フランスなどは自給率が100%を超えていますし、ドイツは95%、低いと対応にやっきとなっているイギリスでさえ63%、イタリアも60%という自給率です。自給率37%、ここまで外部に食料を依存しているという異常な状態を何とかしなさい、と我々の国に待ったなしで問いかけてきたのが今回のコロナではないのでしょうか。前回の「タネを買う人」の動機がオーバーに聞こえないくらいの覚悟で日本は自給率アップへ取り組まなくてはならないということです。

                  posted by: ちあやほーぶん | - | 07:06 | comments(0) | - | - | - |
                  爛織佑鯒磴人
                  0

                    先日、新聞の[特派員メモ]の欄にあったアメリカ・オハイオ州からの爛織佑鯒磴人瓩箸いΩ出しの記事が目にとまりました。今年3月にオハイオ州知事が新型コロナ対策で自宅待機命令を出した翌日の話しです。その特派員が現地の知人女性に電話したとき、ちょうど買い出しから戻ったところで、食料品店には早朝から列ができていて野菜や牛乳、シリアル、トイレットペーパーなどを買い込んできたといいます。そこまではいいのですが驚いたのは「ミニトマトやエンドウ豆のタネも買った。買い占めが起きたり、流通がまひしたり、そんな事態に備え栽培を始める」と言った言葉でした。その女性の父親はベトナム戦争の帰還兵で、子どもたちに有事の訓練をしてきたということです。例えば「ウサギやリスを調理し、鶏肉と思い込んで食べる訓練も幼い時に父親から受けた」のだそうです。

                    ニューヨーク市のマンションで暮らす女性も、新型コロナが蔓延していて買い物に出るのが怖いからベランダで野菜を栽培している、と語ったといいます。まあ素人が少し作ったくらいでは間に合いそうにもありませんが何せ、その理由というか動機の言葉がすごいですよね。やはり戦地への出兵や大規模テロを体験してきた違いでしょうか。

                     

                    私たち日本人はとネットで調べてみると牾綾仄粛が続く中、野菜を育てる家庭菜園が子育て世代の間で人気瓩箸いΔらいしかありませんでした。まあせいぜいそんなところでしょう。今回の新型コロナが日本を襲い始めた頃、何の根拠も無しに、大型連休が明ける頃にはおさまるだろう、悪くても夏頃には終息しているだろうなど、どこか楽観的にとらえていませんでした?我が身を振り返ってみてもそれくらいのどちらかというと軽い気持ちで外出を自粛してました。ところが実際にはワクチンが確立されないと終息しない、まだこれから南米やアフリカにも感染が拡大する、と予測されています。来年のオリンピックどころではないかもしれないという非常事態。

                    そうなんです、恐れていたことが起きています。お隣り、私の出身地の北九州市できのう感染者が新たに21人確認され6日連続の確認者は合計で43人にものぼったと伝わってきました。しかも感染経路が分からない人が半数近くいますので市民も恐れおののいています。とにかく23日からの感染者が市内7区のうち6区に及んでいること、しかも10〜80代という幅広い年代が感染していること、その上感染経路がつかめない、ときています。何せこれまで一定期間、新規感染者ゼロが続いていましたので住民は大混乱しています。小倉に住んでいる姉から早速しばらく来ない方がいいと連絡が入りました。大分の県北は隣り合っていますので他人事ではありません。

                     

                    偶然、今年 何十年ぶりかでシソの種を買った。毎年敷地のあちこちから

                    シソの芽が出るのでそれらを畑に移し爛轡修亮足瓩鯊臉擇房穫してきた

                    せっかく茂った葉は時間と共に自然にかえり、あくが強くて食べられない

                    今年は新しい種から芽吹いた苗なので植え替えたあとのシソの葉も楽しみ

                     

                    去年 北海道から送って来たおいしいトウモロコシ

                    少し種を残しておいてまいたが、たった1粒しか発芽しなかった

                     

                    posted by: ちあやほーぶん | - | 07:09 | comments(0) | - | - | - |
                    安楽死と尊厳死
                    0

                      広辞苑では

                       [安楽死]とは、助かる見込みのない病人を、本人の希望によって苦痛が少ない方法で

                          人為的に死なせること。そもそも安楽死とは他殺行為・自殺ほう助であり、現在の日本の

                          法律では認められていない

                       [尊厳死]とは、患者が自らの意志で、延命処置を行うだけの医療をあえて受けずに死を

                           迎えること

                       

                      外出ができず時間だけはたっぷりある今、せめて本でも読まいないことには一日が過ごせません。そこで読んだのがこの本です。温厚でみんなから尊敬されていた医師である父が母の急死後、病院をたたみ部屋に閉じこもった生活を送るうち認知症を発症してしまいます。その父・当人は「認知症になった時は、在宅介護はしないで専門施設に入院させること。延命治療は拒否する。苦痛を和らげる治療だけでいい」という事前指示書を息子に託していました。そこで父の旧友が経営する病院に入院したのですが、ほどなく父親はそこで突然死してしまいます。この突然死に疑問を持った人々がいて牋続攣爿瓩鬚瓩阿辰栃語が展開されます。かなり重いテーマの作品ですがカミさんに是非読んでみてと勧められた一冊でした。

                      簡単に感想を書ける内容ではありませんので気になった本編の一部を書き出してみました。

                       

                      ・[事前指示書]とは、自らが判断能力を失った

                          際に、自分に行なわれる医療行為に対する意向を前もって意思表示しておく文書のこと

                       

                      ・最近では胃漏や人工呼吸器、人工透析も家族の申し出があれば途中で止めることが

                        できるようになったが、むしろ決断を下すのはこちらの方が難しい。「早く楽にさ

                        せてあげたい」という一心であったとしても、一旦はじめた治療の中止を申し出る

                        のは医師に患者の命を絶ってくれと依頼するのも同然だから

                       

                      ・認知症

                       自分の中に潜んでいる何かが、ある日暴れ出す。意志の力ではどうすることもできない。

                       意志があるかどうかすらも分からなくなる。自分が自分でなくなるということ。

                       

                      ・認知症患者の介護は家族に大きな負担を強いる。いつまで続くか分からない。

                         家族の日常生活にも大きな影響を及ぼし精神的にも負担がかかる。在宅介護となれば

                         なおさら負担が増す。それが理解できるだけに自分が認知症を発症した時は家族に

                         そんな思いをさせたくないと思う。ところが親子の関係が良好であればあるほど介護する

                         側は最期を迎えるまで面倒を見ようとする。しかし介護される側の気持ちは負担をかけた

                         くないと真逆に考える。本人の意志と家族の意志は必ずしも一致しないどころか相反する。

                         お互いが相手を大切に思っているほどその乖離は大きくなる。そこがこの問題を難しくし

                         ている。

                       

                      ・安楽死は末期患者の苦痛を除去し、死期を早めることを目的としている。

                       一方、尊厳死は人間としての尊厳が保たれているうちに自然な死を迎えられるよう、

                         死期の引き延ばしを止めることを目的としている。

                       

                      ・安楽死は一刻も早く苦しみから解放し、死を迎えさせてあげること。延命治療の中止は

                         自然死させること。両方とも治療の術はなく見込みがないという前提条件は同じだが

                         違うのは自然死させるか楽に死なせる処置を施すかどうかの一点だけ。だとすれば苦痛

                         からすぐに開放される安楽死だって認められるべきだ。

                       

                      ・日本では安楽死が認められることは絶対にない。なぜかというと第一に、安楽死は与え

                         られたものだから。第二に回復の見込みがないというのが安楽死を認める理由になれば

                         対象が際限なく広がる可能性がある。

                       

                      ・我が国における尊厳死の法制化の難しさは何をもって死を迎えたと判断するかということ。

                       医学的には脳死をもって死と判断するコンセンサスは確立されてはいるが実際には多くの

                         日本人は心臓が動いている限り死んではいないととらえている。本人が延命治療を望まない

                         意志を明確にしていても、まだ生きているうちは出来る限りの治療を施して欲しいと願う

                         家族の前で呼吸器を止めたり栄養補給のチューブを外すことができるかどうか

                           ↓

                       大切なのは、本人と家族が尊厳死について事前に十分話し合い双方の意志の合意を形成して

                         おくこと。自分の生涯をどう閉じるか、死の迎え方に選択肢を与えるかどうかの問題では

                         ない。延命治療を施されてまで長生きしたとは思わない人間が尊厳死を選ぶのは個人の自由

                       

                      ・「どんな病でも、末期になれば苦痛を伴う。治癒する見込みはない、死を迎えるのは時間の

                          問題となった時、延命治療を望むか治療を中断するかを決めるのは医者でもなければ家族

                          でもない、まして社会でもない。やはり本人が決めることかもしれない」と人権派の弁護士

                          に言わせている。

                       

                       

                      posted by: ちあやほーぶん | - | 07:12 | comments(0) | - | - | - |